修羅としての神名龍子伝

神名龍子女史http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/の評伝です。神名女史は、新宿の片隅にひっそりと咲くすみれの花のような、平凡などこにでもいる物静かな人です。

2007年12月12日

 

○自分の頭で考えよ

世の中には、

「神名さんのHPは、いろいろ書いてあるが、結局のところ、読む人に、どう生きろ、と言いたいのか」という人もいる。

 渋谷の女装クラブ「サファイア」

http://www1.odn.ne.jp/~aaj95410/

の店長の秋野氏は、神名女史に

「神名氏はEONでジェンダー論や女総論など個別の各論的なことを述べられていますが、それらのひとつひとつはかなり同意できると思います。しかし、全体として総括的に見て、現在の「女装界」「トランス界」の現状をどのように貴女は把握し、どのようにあるべきと思うのか、またそのために貴女は何をしようとしているのでしょうか」

と質問状を出した(文書にて保存)。

 

 神名龍子女史のHPは、男性と女性のエロスの違いや、ジェンダーフリーがいかにジェンダーレスであるか、などの説明は詳しく書いてあるが、これを読む人に対して「あなたは男女共同参画社会法案に反対せよ」「ジェンダーフリーに反対せよ」などと言っているわけではない。

 また、人に「社会をこのように変えるべきである」と言っているわけでもない。

神名女史は、あくまでも、「個人」の幸福を望む人であって、「国家や社会をこうすべきだ」と言っているわけではない。

 個々人が、自分のあり方はどうなのか、それぞれが自分の頭で考え抜き、その上で自分がもっとも納得がいく生き方を選ぶべきであって、「神名さんがこう言ったからこう生きる」というものではない。

 自由について、社会について、悪について、神名女史は膨大な哲学的考察を書いているが、それを読んで、自分はどのように生きるべきなのかは、個々人が考えるべき問題なのである。なぜなら、自分が真に求める「幸福の条件」は個々人でまったく違うからである。

 しかし、世の中には、

「社会をこのように改革すべし」と呼びかける人が多い。それが本当に必要な改革なのか、それとも、そうではないのかは個々人が自分で考えなくてはならない。

 

 また、

「ジェンダーフリーがジェンダーレスであることは理解できた。でも、自分がどういう考えでどういう価値観なのか、自分自身がわからない。自分自身がどこか実感が持てない」

と語る人もいた。これも、結局はその人が何を求めて、それを(普段接している)周囲の人間関係の中でいかに追求してゆくかについて、迷いが生じているのだろう。

 

 神名女史は、

 

「生きる価値」というのは「真理」と同じで、そんなものははじめからないんだよね。いや、けっしてニヒリスティックな意味じゃなくてね。「意味」とか「価値」というのは、なんらかの価値観があって生じるものなんだから、例えば、

「Aさん(の価値観)にとっての、神名龍子が生きている事の価値(や意味)」

というのはありえても、そういう条件を省いて単に「生きる価値」というのは、問いとして成り立たないでしょう。だから、そういう意味では「生きる価値」について考えることには、何の意味もないと思う。(中略)

では「自分にとっては、これが本当だ」という価値観は何か。最初に戻って言うと、「真理」という意味での「本当の価値観」というものはない。ただ、人間が自分の求めるエロスに沿って物事を解釈すると、その解釈の仕方がその人にとっての「ほんとう」の価値観になる。もっと簡単に言えば、「自分の生きる価値」を問う人は、自分に対して「何をしたいの、何になりたいの」と問えばいい。(中略)

結論=「生きる価値」を問うても答はない。

ただ答になるような生き方があるだけだ。(りゅこ倫・1998年5月13日・生きる価値)

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/lrin/lrin13.html

 

と述べる。

 

 今は物資が豊かにあふれる時代だが、人々は

「自分が本当に欲しいものがわからない。自分が何を真理だと思うのかもわからない」

と考えることも多い。だから、

「あなたはこう生きるべきだ。社会はこのように改革すべきだ」という言説があると、そうなのかな、と思ってしまうことも多い。

 しかし、わたしは、生きる意味や、生きる価値などを問うよりは、「あなた自身は何者なのか」を問うほうが良いのだと思う。そのためには、自分に楽しい経験とか心の底から笑えるような面白い経験などをさせることが必要ではないか、と思う。楽しいことの積み重ねのうちに、おのずと自分が見えてくるのだと感じる。

 

 神名女史はさらに、

 

本当に「その人らしい生き方」をしている人は「自分らしい生き方」なんていう抽象的な表現を使うわけがなくて、「自分のしたいこと」を具体的に言います。

 その時代の「社会の価値観がこうだからこう決めた」というのではなしに、これをすることが自分にとって面白そうだから、とかね(笑)、心の底からワクワク出来ることをしようと決めた時に、具体的な「自分のしたいこと」がいえるんです。そして端から見ても「なるほど楽しそうだ」とか、充実していると思えるような生き方が、「その人らしい生き方」という評価になるわけですね。

 だからその内容は人によって違ってて、一人ひとりが「自分がワクワクすること」を見つけなければならない。それはマニュアルが用意されていない生き方ですね。(中略)

 だから私が嫌いなのは、例えば「 T's を理解してくれない家族」だとか、「性別二元社会」だとか、そんなものではなくて、「退屈」がいちばんキライ(笑)。(中略)

 私は自分が、「自分らしい生き方」をしているかどうかなんて判りませんけど、「真剣」に楽しんでます。だから、こうして文を書いているときでも、音楽を聴きながらっていうのがだめで、それぞれどちらも楽しいんですけれども、だからこそ真剣に楽しむためには、文を書くときは文を書く、音楽を聴くときは音楽を聴く事に徹しないと、中途半端になってしまって、真剣に楽しめません。

 もし「自分らしい生き方」が出来るようになったらワクワクできると考える人がいるとしたら、それは順番が逆だと思いますね。(ジェンダー素描・番外4・.「自分らしく生きる」より、ワクワクしよう)

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign_b4.html

 

と語る。

 これを読んでくださった人々には、楽しい経験を積んで人生を楽しんで、その中から「自分らしい価値観」などが見出せることを切に祈るものである。わたし自身も人生を楽しみながら、自分にとって大事なもの、必要なものを見出していきたいと思う。

 「社会はこうあるべき」「人はこのように生きるべき」ではなく、あくまでも、自分の頭で考えて、自分の価値観を見つけるべきなのである。


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