修羅としての神名龍子伝

神名龍子女史http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/の評伝です。神名女史は、新宿の片隅にひっそりと咲くすみれの花のような、平凡などこにでもいる物静かな人です。

2007年12月12日

 

○心に秘めし覚悟

 神名龍子女史に初めて出会ったのは、2007年3月だった。当時、わたしは、男女共同参画社会法案が成立してから耳にするようになった「ジェンダーフリー」という言葉に違和感を持っていて、それがどういうことなのか、本を読んでいろいろ調べていた。
 女装家の神名女史は、反ジェンダーフリー・反フェミニズムを掲げ、男女の性差を認めない思想を批判していることで有名だった。
 神名女史に初めて会った時の印象は、艶やかな大人の女、という感じだった。女らしい艶かしさと、硬質の知性が同居している才色兼備な人だった。美しい人だと感じた。
 神名女史は
「自分が女装してみて、初めて男らしさ、女らしさが人間にとってかけがえの無い文化だと分かります。こうした文化を、ジェンダーフリーの名の下に失ってはならないのです」と説いた。何事に対しても深く考察し、論旨に矛盾のない人だと感じた。
 
 神名龍子女史とはいかなる人物か。
神名龍子(1964〜)東京都出身。戸籍上は男性の女装家・在野の哲学者。1983年、都内私立高等学校を卒業後、警察官として勤務。1985年から女装を始め、1989年に警察を退職して新宿でニューハーフになる。
1990年、「EON」という女装者専門のパソコン通信のサイトを立ち上げたが、当時は女装関連のサイトがここしかなかった当時は、これは画期的なことだった。神名女史は女装界の先駆者でもあった。このパソコン通信のサイトは、現在では、女装と哲学関連のホームページになっている。
1998年から働きながら、カルチャーセンターで哲学と現象学を学ぶ。その後、大学で年に数度、講師として呼ばれてジェンダーに関する考察を講義し、現在に至る。
2007年現在、神名女史はバイク便での運送業に従事しつつ、週に一度ニューハーフとして勤務している。
 
 ある日、神名女史は
「私が死んだら、あなたは私の思想の語り部になってくれないか」
と冗談で言ったことがあった。
 神名女史は仕事で毎日、バイクに乗って走っている。事故にあわないように気をつけているが、死と隣り合わせの仕事だった。貰い事故なら避けようがない。以前、事故を起して路上に放り出されたことがあった。幸い、大事には至らなかったようだが。
 わたしはひどくうろたえ、
「友達が死んでから、冷静に思想を伝えるなんてことは、できません。それなら、神名さんが生きているうちに、あなたの思想と生き方を伝えるための評伝を書きたいと思います。
今の日本は、『男らしさ、女らしさ』を軽視する風潮があり、男女の間にロマンが消えつつありますから、あなたの思想を伝えることには意義があります」
と答えた。
 
昔の武士は、死の覚悟を持ったほうが戦場にて勝つと信じていたという。大道寺有山は、「武道初心集」に、
「武士たらむものは正月元日の朝、雑煮の餅を祝うとて箸をとる初めより、その年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々死を常に心にあつるを以って本意の第一と仕り候」と書いた。
毎日、死と隣り合わせの神名女史は、武士の如き「覚悟」を持たなければ、逆に命を危険にさらす可能性が増えるのだろう。
古武術や、剣道、弓道の心得があるとはいえ、武士でもなく、当世を生きる神名女史に「死の覚悟」が持つことに、わたしは粛然たる思いを抱いた。
お互いに生きているうちに、神名龍子女史の評伝を書き、女史がいかに社会と向き合ってきたか、書き残したかった。
 
 子どもの頃から歴史の勉強が好きで、父親に連れられて、江戸の史跡や由緒ある神社仏閣をまわったことが神名女史に大きな影響を与えている。
 日本の歴史では、一般的には女性はずっと忍従を強いられたというイメージがあるが、将軍家、大名家、武家、商家などでは、「奥の権限」があり、表向きは男性が権限を握っていても、奥では女性が支配する構造になっていて、現在も「奥さん」という言葉が残っているように、女性は虐げられてばかりの存在ではなかった。
 江戸時代は、将軍家では表向きは将軍に絶対的な権力があっても、大奥では御台所が権限を握ったように、表向きは男性が権力を持つように見えても、内政は奥方である女性が権限を持つようなことは珍しくない。
 表と奥は、支配と被支配の関係ではなく、ほとんど対等であり、男性は大奥のことに干渉することはできなかった。これは、男女の役割の「区別」ではあったが、差別ではない。
 女性の社会的地位は低かったとはいえ、社会の半分を占める女性が泣いて暮らしていたのでは、家庭の基盤は崩れ、ひいては社会全体の根本が揺らいでしまう。
 上野千鶴子女史は「奥様」という言葉を女性に対する差別語とするが、これは日本の歴史を認識することなく、思いつきで言葉狩りをしているに過ぎない。
 
神名龍子女史は、自らを「オカマ」と呼ぶ。
 神名女史が女装して、「オカマ」としての覚悟を決める上では、歴史上の女性(そして男性も)が、多少は女史に影響を与えている。
 戦国時代は誰がどうなるのか先がわからない世界だった。男性も、女性も、今と違って自分の人生を自分で選び取って生きることはできなかった。
 しかし、戦国時代の有力者たちは、男も女も覚悟があり、凛としていたと思う。この時代の結婚は、ほとんどが政略結婚で、嫁いだ妻は子供を生み、家名を伝える役割を果すだけではなく、妻には「スパイ」としての役割もあった。
 嫁入りの時は大勢の侍女や侍従がついていくが、この人たちも、嫁ぎ先のお城の構造や経済事情を知る立場にあり、スパイとしての役割を果すが、その当時は、輿入れするほうもされるほうも、それを百も承知で結婚するもので、双方にその覚悟があった。
 織田信長の正室の濃姫は、父の斉藤道三に、
「うわさ通りの大うつけであったらこの短剣で信長を殺せ」と言われて短剣をもらったが、
「もし、大うつけでなかったら、この短剣は父上を殺すことになるかもしれない」と言って受け取らなかったという逸話が残っている。
 
また、信長の妹で絶世の美女と伝えられるお市の方は、政略結婚として最初は浅井長政と結婚し、浅井家が滅ぼされるとさらに、柴田勝家と再婚した。これも政略結婚とされるが、勝家が羽柴秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れると、夫とともに自害した。秀吉は、お市の方を助けるために手段を尽くしたが、死に時を見極めた彼女はそれを受け入れることなく、夫と運命を共にした。
 この時代の女性は、けっして父親や夫の言いなりになるだけの存在ではなく、運命に翻弄されながらも、自分の役割を果し、使命を全うしようとする覚悟があった。
 現代の日本は、誰もが自分の人生を自主的に選択でき、その選択肢も多い。女性は、自由に社会進出もできるし、家庭に入ることもできる。
 今の日本には、政略結婚などする人はいないし、「愛情」あって結婚するものだが、結婚したらしたで、姑とうまくいかない、経済的に不如意、夫が若い女性タレントに夢中、など不満を持つ女性はたくさんいる。
 人間は、満たされると「覚悟」を見失ってしまいがちだ。
 
神名龍子女史は、女性が選択肢の多い社会の中で、女性が一つのことを選ばずに、あれこれ迷って不満を募らせることが多い時代において、あえて、「女の一生」とは何かを知るため、覚悟を決めて女装し「オカマ」になった部分もある。神名女史は、何もかも満たされた「現代」において、覚悟を秘めて、戦国の姫君のように凛として女装しているのだ。
神名女史は衣装や化粧で外見をそれらしく見せかけただけの女装者ではない。女性が女性として存在するためには「母性」の存在を無視できない、と考え、自分も何とかそれを身につけられないかと願ったくらいの人だ。
現実の女性が、「母性」を見失うことが多く、女らしさを軽視し、とげとげしい人間になりつつある時代、鋭敏な神名女史は、「それではいけない」と身をもって自分が女装することで、女性たちに警鐘を鳴らす面も、少しはあったのではないか。
フェミニストたちの理論を悉く論破し、男女共同参画社会法案の欺瞞を告発する神名女史は、女装することによっても、女性たちの生き方を無言のうちに問いただし、「女性の魅力」を自ら、体現しようと試みているのだ。

  • ○自分の頭で考えよ
  • ○常識とのたたかい
  • ○差別を乗り越えるために
  • ○護民官意識
  • ホームページ制作、ホームページ作成歯医者転職SEOインプラントインプラント0004328300043283