(7)慰安所の形成

(7)慰安所の形成

 軍の統率上、必要不可欠な「慰安所」は、軍が業者に委託して女性を集めるという形で行われました。

 これは、あくまでも、業者が行ったものであり、軍が直接女性を集めて慰安所を営業したわけでもなく、ましてや、嫌がる女性を無理やり強制連行したわけでもありません。

 女性たちを募集するに当たって、新聞広告を出す例もありました。当時の朝鮮で最大部数を誇る「毎日新報」という新聞には、「軍慰安婦急募・行先○○部隊慰安所」などと広告も出されました。

 神名女史は

 

 順番に説明すると、まず「慰安所」の設置は国家意志に基づくけれども、軍はそれを業者に命じてやらせたのであって、軍が直接に女性を集めたり、「慰安所」の運営をしたわけではありません。この点では「慰安所」は「酒保」と違っています(酒保は軍が運営するものですから)。

 この業者というのは、要するに女郎屋ですから、さらにその女郎屋に依頼されて、女衒が女性を集めたりする。

 その際に、悪い女衒がいて、女性を強制的に連れ去ったり、甘言で釣って騙したりということはあったらしい。

 これは朝鮮半島だけでなく、内地(日本本土)でも同じことです。当時の軍の書類には、誘拐まがいの募集をする業者がいるから注意せよ、みたいなことが書かれたものがあります。

 それから、軍医が「慰安婦」を定期的に検診したりもしている。その理由のひとつは、性病にかかった「慰安婦」がいると兵士に蔓延して部隊が崩壊するからですが、それだけでなく、「慰安婦」の健康状態そのものにも気をつけています。

かえって「慰安婦」の方が、軍医の休業の勧告に従わずに、稼げるうちに稼いで帰るんだと頑張ってしまったりする例が多いのです。

「慰安婦」に関していえば、占領地とはいえ敵地と地続きの場所にいたわけですから、敵襲(本土の空襲のようなものではなく、敵地上勢力の突入など)の危険は本土よりも高い。ですから状況によっては行動の制約は生じ得ます。

しかし、それは「慰安婦」に限った話ではなく、日本軍の占領地にいた日本人(民間人)の全てに共通していえることであって、江戸時代の吉原のように遊郭に閉じ込められていたわけではありません。

 

と説明しています。

 慰安婦を集める業者は、日本軍の「許可」を得ていますが、それはあくまでも、民間の業者が自分たちの利益を得るためにやったものであります。

 こういう仕事はかなりの利益があるものであり、業者が利権を手放すはずは無いのです。

 2007年5月12日の産経新聞は、

「『民間が慰安婦集め』米軍調査『日本軍は利益得ず』」として、次の記事を載せています。

 ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。

 報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。

 

 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。

 

 この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。

 この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。

 

 報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。

 この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。

 

 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。

 22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。

 日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。

 

 このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。

 

 報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。

 女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。

 

 日本軍が女性を組織的に連行していたということはなく、専門の業者が存在していたのです。これについて、神名女史は、

 

 ごく常識的に考えれば、慰安所運営のノウハウを持った業者に下請けさせた方が合理的だというに過ぎないことだと思います。

 それは何も慰安所に限った話ではなくて、占領地への駐留期間が長くなれば、そこへは内地の料亭等、他の業種も進出していました。

 当然そういう業種にも女性がいます。軍がそんなものをすべて直轄して運営するノウハウなんか、持っているわけがなくて、いくら軍隊が自己簡潔型の組織だといっても、おのずから限界があります。

 

 売春宿に限った話ではありませんが、どんな水商売にも、その商売なりのノウハウというものがあります。

 急に必要になったからといって、素人が水商売を立ち上げて運営しても、上手くゆくものではありません。水商売を馬鹿にできません。

 

 軍人は戦争のプロではあっても、水商売の素人ですから、必要な時に女性を集めて直轄の慰安所を運営するのは、なかなかできるものではありません。

 したがって業者に任せるのは「苦肉の策」ではなく、唯一最善の選択肢であろうと思います。

 

と述べています。女性をたくさん使って商売していれば、必ず、「あの子がわたしの悪口を言った」などの女性同士のトラブルや、お客さんと女性との間の揉め事などが起きるものです。

 こうした事態に対応できるのは、客商売に慣れた業者であって、軍人ではなかったのです。戦争で、兵隊さんたちが外地に行けば、兵大さん相手の商売をする人たちも、利益を求めて外地に行ったということに過ぎません。


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