

(4)一人歩きした「河野談話」
1993年8月4日宮沢政権下で、いわゆる「河野談話」という文書が発表されました。
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。
慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」
とする「河野談話」は、日本政府が従軍慰安婦の強制連行があったということを、事実上認めたというものでした。
強制連行があったという証拠はどこにもなく、目撃証言さえなかったのです。また、吉田証言も信憑性を疑われていました。
韓国政府のほうでも、1993年には、慰安婦の聞き取り調査をした結果、強制連行が無かっただろうと考えていました。
しかし、日本人が自ら「強制連行をやった」と提起したことで、反日感情が高まり、とりあえず、金泳三大統領は
「この問題では日本政府が真実を明らかにすることが重要であり、物質的補償は必要ない」と発表したのを受けて、補償はしなくてもいいが、強制性は認める、として、その結果が「河野談話」でした。
日本政府は、「物質的補償はしなくてもいい」ということを受けて、強制連行を認める内容の文書を発表したのですが、やがて、韓国のマスコミは、日本国内の左翼とも呼応する形で、日本に国家賠償を求める動きが出てきました。
日本軍の官憲が強制連行した事実はどこにもありませんが、吉見義明氏のように、借金で仕方なく慰安婦になった事例も「広義の強制連行」と認めたことも、その風潮の後押しになったのです。
また、「河野談話」そのものが、強制連行があった証拠と見なされるようになりました。
神名女史は
しかし、今になって「河野談話」の見直しが難しいであろうことも、容易に察しがつく。
その理由は、まず第一に、河野洋平が現在(2007年3月)の日本において現役の「三権の長」(衆院議長)という立場にあるということだ(三権分立の原則上、大臣と違って衆院議長の「罷免」はあり得ない)。「
河野談話」を見直すならば、政府への申し入れではどうにもならず、河野洋平自身がその見解を改める必要がある。
「河野談話」の内容に異論があるのなら、まずは発言者にその批判を向けるのが筋だ。
第二に、日本政府が中国や韓国を相手に、歴史の共同研究の承諾をしてしまっていることである。「河野談話」の見直しをするのなら、それは単なる政府見解の変更という問題ではなく、この共同研究においても「日本政府・日本軍による従軍慰安婦の強制連行があった」という見解を否定しなければならない。
もちろん中国や韓国は納得しないだろうが、それでも「強制連行はなかった」と主張し続ける覚悟が必要だ。
として、河野談話が一人歩きして歴史的事実と解釈される現状について述べております。