

(1)事実無根の強制連行と吉田証言
1983年に吉田清治という人物が、「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制」という本の中で「私は韓国で、女性を強制連行し慰安婦にした」と告白をしたことが発端となり、いわゆる「従軍慰安婦問題」が起きました。
吉田氏は、1943年に、済州島で、武装した兵隊らと共に、工場で働く若い女性を片っ端からトラックに無理やり積み込んで、「慰安婦強制連行」をし、役得としてトラックの上で女性を強姦する兵士もいた、と書いています。
「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。
この本は6年後の1989年、韓国で翻訳出版され、さらにドラマ化されて大きな反響を呼びました。
日本軍が権力を傘にきて、何の落ち度もない若い女性を無理やり強制連行し、売春婦として酷使したと発表したのですから、韓国で反日感情が高まったことは言うまでもありません。
しかし、この本の裏づけをとろうとした済州新聞の許栄善女史によって、この本が虚偽の告白で成り立っていることがわかりました。
許女史が済州島で調査したところ、強制連行の事実は無かったことがわかったのです。
許栄善女史は、1989年8月14日付で同紙に著名で次のように書いています。
解放四十四周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として、
二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され大きな衝撃をあたえている。
しかし裏付けの証言がなく波紋を投げている。(続いて吉田著の概要を紹介)
しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で十五〜十六人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏ずづけ証言する人はほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。
城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
郷土史家の金奉玉氏は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。
しかし、嘘で固められた吉田証言は、マスコミに数度も取り上げられました。
日本では朝日新聞が、1991年から翌年にかけて4回にわたり、吉田証言をめぐって特集記事を組んで報道しました。
そのため、戦時中のことを知らない若い世代を中心に、「日本の軍隊では、従軍慰安婦を強制連行することがあったのだ」という思い込みが形作られました。また、吉田氏は虚偽の証言を、訂正することもありませんでした。
1992年、吉田証言に不審を抱いた秦郁彦氏が、済州島に渡って調査をしたところ、前述の許栄善女史の記事を見つけて、事実関係を知ったのです。
嘘が知られた吉田氏は、1996年5月29日付けの週刊新潮の誌上で
「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」
と開き直りましたが、証言を訂正することはありませんでした。
吉田氏は本名のほかに幾つものペンネームがあり、身の上話にも嘘が多い人物でした。
何の落ち度も無い若い女性を、何十人も大量に、家族から引き離して強制連行すれば、必ず、家族や同じ村の人々が騒ぐはずですし、目撃証言もあるはずです。また、戦争が終わった後ででも、問題視されることがあったはずです。
しかし、これらの強制連行を目撃した人や、家族にいたという人は、結局、いくら探しても現われなかったのです。